A.小笠原諸島返還の翌年である1969(昭和44)年に設立された会社で、東京港と小笠原諸島の父島二見港を結ぶ定期船「おがさわら丸」を運航しています。お客様と貨物を運搬する貨客船である「おがさわら丸」は、東京―父島間、片道約1,000㎞を約24時間で結び、島民のライフラインとして、また観光客にとっても唯一の足としての役割を果たしています。
A.初代「おがさわら丸」(3,553トン)が活躍していた1987(昭和62)年に21歳で甲板員として入社しました。当時は船のことを色々覚えられるのがとにかく楽しかったです。31歳で三等航海士になり、その後二等航海士に、40歳で一等航海士になりました。一等航海士になれば、正規の船長が休暇の時に代理で船長の業務を行うことができます。そして2010(平成22)年11月から船長として勤務しています。
A.高校生の頃、進路を考える際に船で働きたいと思い、決めました。外国に行ってみたいという思いもあり、海の仕事に憧れを抱いていました。旅行で「おがさわら丸」に乗ったこともきっかけの一つです。離島航路にも興味を持ち、小笠原海運とのご縁があり、現在に至ります。
A.まず、気象や海象の状況を把握します。梅雨時の東京湾の視界不良、夏の台風・冬の季節風による海の荒れなどに対応するために必要な情報を入手します。そのうえで運航管理者と相談し、航海全般の管理・計画を立てます。また、船舶が多く集まる海域や、出入港で操船を行うこともあります。東京湾の出入港では、波が高い時や梅雨時、ガスが多い時など、視界が悪い時には操舵室で乗組員に対して指示を出します。現在の三代目「おがさわら丸」は船の大きさが11,035トンあり、二代目と比較して航海時間も短く、航行中の安定性や設備が向上しましたが、人命を預かる責任をしっかり持ち、慢心せず気を引き締めて日々航行しています。
A.お客様と貨物の安全輸送を最優先に考えています。お客様の急病や子どものアレルギーへの対応などで父島に引き返したことや、怪我をされた方や体調が悪くなった方を、「おがさわら丸」から海上保安庁のボートやヘリコプターに移したこともありました。「おがさわら丸」は貨物のみを運ぶ貨物船ではなく、貨物と共に人の命を預かる貨客船ですので、安全が最優先です。昔は台風が接近していても船を出航することがありましたが、現在は、そのような状況で運航はいたしません。
A.2005(平成17)年5月下旬に当時の石原都知事が「おがさわら丸」を使用して沖ノ鳥島を視察された際、乗組員の一人として同行しました。当時私は二等航海士で、視察で使用するボートなどの準備をしました。
A.2013(平成25)年に、はじめて視察会が企画されていた時も、私が船長として沖ノ鳥島に行くことになっていましたが、台風の影響で中止になりました。その後も3回ほど視察会が企画されましたが、台風の接近等でいずれも中止になりましたので、なかなか行くことが出来ない沖ノ鳥島に再び行く事が出来ると思い、楽しみでした。
A.視察会の全行程を通じて凪の状態でした。出発してすぐ父島付近でイルカを見ることもできたようです。夜に行われた星空観察では、往路は曇って星が見えませんでしたが、復路は天候もよく、ちょうど進路を東にとって南十字星が見えました。せっかくの機会でしたので、星空観察も出来て良かったと思います。
A.海況も良く、安定して沖ノ鳥島の周囲を航行できたので、島を良く観察出来たのではないかと思います。視察会に参加された方々に喜んでいただけていればうれしいです。
A.沖ノ鳥島へのアクセスは限られており、課題もありますが、5年に1回くらい、皆さんと一緒に沖ノ鳥島への航海ができたらいいなと夢見ています。沖ノ鳥島は日本で唯一北回帰線の南にある島ですので、夏至の時期、北回帰線よりも北では南にある太陽が、沖ノ鳥島では北にあります。次回は、海況も良く、太陽が北にある珍しい体験ができる夏至の時期に行きたいですね。東京都の各諸島の魅力を皆さんにもぜひ知ってもらいたいです。